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★べとなむ電脳生活日記★ アダルト・アフィリエイトで海外移住♪

エロいサイトのアフィリエイトをしてサイゴンで生活しているフリー浮浪者donkyの暇つぶしに書くブログ!

僕のエログ・アフィリエイト

久しぶりに日記を再開したので、今日は僕の収入源のアフィリエイトについて書きたいと思うのですが、僕の日記は書いている内に最初に書こうとしたこととはまったく違う別の内容になっていたりするので、その日の日記を書く前にタイトルを付けることが出来ません。
僕がアフィリエイトに手を付けたのは、まだ日本にいた2004年の末位だったと思います。
携帯電話のアフィリエイトを始めました。
僕は携帯電話を持っていなかったので、自分がパソコンで作った携帯電話のHPが携帯の画面ででどういう風に表示されているのか?というか本当に見ることが出来るのか?さえもわかりませんでした。
それでも10円とか15円とかの収入が毎日ちょろちょろとあった記憶があります。
こんな収入じゃあ、とても(物価の安いプノンペンでさえも)暮らせないと思いました。
元々、僕が日本に帰ったのはプノンペンでの行いを悔い改めて、日本でまっとうに生きる為ではなく、大使館の方が「そんなにカンボジアが好きなら、一度日本に帰って2、3ヶ月したらまた(プノンペンに)戻ってくればいいじゃないですか?」と言われたので、僕もそれもそうだなぁと思ったからです。
それもそうと言うのは、もし何か大事な用事が出来て日本に帰った時に捕まってしまったら、その大事な用事を済ませられないじゃないか?と考えたからです。
その話を当時プノンペンに居た知り合いの人に話すと「本当に大使館の人が2、3ヶ月って言ったの?2、3ヶ月ってことは井上さんは確実に起訴はされるって意味だよ。」と言われました。
それで僕は取り合えず日本で一仕事を終わらせてから、またプノンペンに戻って生活をやり直すつもりでいました。
その時の収入源にアフィリエイトを考えていたので、最低月5万円位は欲しいなぁと思いました。
なぜ携帯電話のアフィリをやめて、エロ動画のアフィリを始めたのか忘れてしまったのですが、カリビアンコムというエロ動画サイトの宣伝をしようと思って作った某ブログが1日目に300アクセスを越えました。
その後、2000、3000とユニーク・アクセスは増えて行きました。
4年位前、今ほどブログを使ったアフィリエイトが一般的ではなかった頃です。
僕がブログを始めると言うと友達が「日本には2chがあるからブログは流行らない」とか訳の分からないことを言ったので、2chとブログは全然違うのになぁ?と思いました。
実は、その頃はブログの記事を検索サイトは面白いように食ってくれていました。
当時、オの付く女性器の俗称でググルと1ページ目に僕の作った某ブログが表示されていました。
僕がエロ動画サイトのアフィリを始めたちょうどその頃、今は業界2位となったグローバル・キャッシュというASPが出来ました。
オープンということもあり、当時グローバル・キャッシュは自社のエロ動画サイトの宣伝を週間プレイボーイ等の雑誌で行いました。
おそらく、雑誌の宣伝記事を読んで興味を持った読者がインターネットで検索するといい感じで僕の作ったエロいブログがヒットしたのではないか?と思います。
エロ動画サイトのアフィリを始めて数ヶ月位したある日、僕はグローバル・キャッシュの自分のアフィリエイト売上を見て驚きました。
0の数を何度、数え直しても10万円を越えています。
当時、僕は上に書いたような理由があって売れている事がよく分からなかったので、自分が作ったブログの売上ではなく、きっと何処かの大手のエロサイトが、僕のグローバル・キャッシュのID番号を間違えて付けてバナーを貼ったに違いないと考えました。
それで、もしそのことがグローバル・キャッシュにばれると僕の10万円以上の売上は没収されてしまうのではないか?と思いました。
それで、僕は毎日、売上が没収されていないかグローバル・キャッシュのアフィリエイト会員ページを見て確認しました。
売上は没収されるどころかドンドン増えていきました。
次の月もグローバル・キャッシュのアフィリエイト売上は10万円を越え、15万円も越えました。
エロ動画サイトのアフィリエイトを始めて半年くらいした頃、実際にその売上の入金があり、他のDTI等のエロ動画サイトのアフィリエイト売上を合わせて月収で2000ドルを越えました。
僕は早速、海外出国の準備を始めました。
サイゴンにしたのは特に深い理由があったわけではなく、サイコロがたまたまそこに転んだ程度の理由でした。
サイゴンに来なければバンコクかヤンゴンかビエンチャンに行っていたと思います。
元々、行きたかったカンボジアは入国を拒否られるという噂があったのでプノンペンに近い都市でインターネットが出来てATMが使えるというだけの理由でサイゴンにした記憶があります。
月収2000ドル代はサイゴンに来た後、ある出来事があるまで約半年続きました。
僕はたまたま運が良かっただけなのに、月収2000ドルはこのまま永遠に続くんじゃないか?もしかして僕にはエロアフィリの才能があるんじゃないか?と勘違いしていました。
ある出来事というのは、僕が個人的に「Googleショック」と呼んでいる出来事です。
実は、それまで僕のエロブログを見に来てくれる人の半分以上がGoogle検索からでしたが、ある日突然そのGoogleからほとんど人が来なくなってしまいました。
僕のエロブログのアクセス数が半分になり、ついでにアフィリの収入も半分になってしまいました。
それでも10万円以上はあったので、飢え死にする訳じゃないし今までが運が良かっただけだと考えて諦めようと思いました。
その後本当に飢え死にするかもしれない事態が発生しました。
僕が個人的に「livedoorショック」と呼んでいる事件です。
かつては「エログといえばlivedoor」とさえ言われた時代もあったlivedoorが、規模が大きくなるに従いアダルト系ブログを嫌うようになりました。
僕の一番アクセスがあったエロいブログは1通のメール連絡もないまま消し去られました。
僕の新規の売上のほとんどが、そのエロブログからだったので、このまま何もしなければ異国の地で本当に飢え死にする可能性が出て来ました。
僕は初心に帰りブログの量産を始めました。
livedoorに消された一番アクセスがあったエロブログも、そうしたブログの量産の中から生まれたモノの1つでした。
収入は予想通り月を追うごとに落ちて来ました。
10万円を割り、7万円代にまで落ち込みました。
僕は生活費を極限まで切り詰めてみようと思いました。
その頃、住んでいた部屋は家賃100ドル程で外国人にしたら決して高い家賃ではなかったのですが、もっと安いアパートに引越しました。
外食を止めて、市場で食材を買って来て、自分でご飯を炊きました。
今までは、お手伝いさんがやってくれていた掃除や洗濯を自分でするようになっていました。
ただ、エロアフィリエイトを止めようとは思いませんでした。
考えていたのは1つでいいからヒットするブログが欲しいということだけでした。
寝る時とオナニーとかの雑用をする時以外は、ご飯を食べる時もパソコンに向かいひたすらエログを作り続けました。
しかし、ブログのいいアイデアも浮かばず、ヒットするブログも出来ませんでした。
ヒットするブログが出来なければ、収入は限りなく0に近づいて行くのは時間の問題で、いくら生活費を切り詰めてみたところでたいした意味はありません。
月々減っていく収入に、真綿で首を絞められるような本当に追い詰められた気持ちになりました。
ある日、疲れて今日はエログを作るのを諦めて休もうと思いました。
それでマットに横になりノートパソコンを開き、ぼんやりとyoutubeで昔のプロレスのビデオを見ていた時にふとエロいブログのアイデアが浮かびました。
収入は再び10万円を越え、安アパートを引き払い、家を借りてトゥさんと一緒に住むことにしました。
  1. 2008/04/23(水) 04:50:49|
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僕が今、住んでいる家(正確にはトゥさんの名義で借りているので、トゥさんの家なのですが)1ヶ月の家賃300万ドン(今は円高なので2万円位)です。
最初は僕とトゥさんの2人で借りて住んでいたのですが広過ぎて部屋があまっていました。
それで、美容師のオネーチャン2人にあまった部屋を貸すことになりました。
今は家賃の300万ドンの内、僕が半分の150万ドンを払い、残りの150万ドンを美容師のオネーチャン達が払い、電気や水道代等の家賃以外の全てのお金をトゥさんが払っています。
そう言えば、テンは呼び捨てなのにトゥさんは何故?さん付けなのかと言うと、テンはいつも僕を「イノ!」と呼び捨てなのにトゥさんは「イノさん」とさん付けで呼んでくれるからです。
トゥさんと出会った頃、トゥさんは日本人もよく行く某所レセプションで働いていて日本人は、名前の後にさんを付けることを知っていました。
僕を「イノさん」とさん付けで呼んでくれるベトナム人は、今一緒に住んでいるトゥさんとツーチャン食堂のツーチャンくらいです。
そう言えば、ベトナム人のオネーチャンで「トゥ」という名前はよくある名前で、僕が村で2人目に身請けしたオネーチャンの名前も「トゥ」でした。
以前、ヤンゴンに少し住んでいてプノンペンに戻って来た時に、大使館の方が僕を探してくれたのですが、僕の居場所が分からずに大使館の人が真っ先に聞きに行ったのが当時、悪の巣窟と呼ばれていたディスコ「マンハッタン・クラブ」でした。
その時すぐにデーホリのプッシャーからの連絡で僕を匿ってくれたのも、近所に住んでいた「トゥ」というオネーチャンでした。
「イノはこの部屋から絶対に外に出ちゃダメよ!」と言われていたのですが僕は何故?部屋から出てはいけないのか分からず、よく駄菓子屋に買い物に行って叱られたりしました。
プノンペンに居た頃は、そういう毎日のようにあったイベントもサイゴンに来てからは、ほとんど無くなってしまったのですが、最近久しぶりにイベントらしいことがありました。
この家に来た頃は1階にパソコンを置いて毎日、仕事をしていたのですが、大家さんがトゥさんに「外国人が窓の近くにいつも居ると、いつか殺して金を盗ってやろうと考える人が居るからイノは2階に居た方がいい」と言いました。
僕がトゥさんに「殺すと言っても、どうやって家の中に入って来るの?」と聞くと「ピストルのように刃の部分が飛び出すナイフがいくらでも売ってるでしょ!イノはいつも窓を開けて仕事してるから外からでもイノを殺すことは簡単よ!」と言いました。
それで、今は家の2階で自宅警備員兼エロアフェリエーターの仕事をしているのですが、2階の部屋の窓が小さくて普段は外を見ても前の道路位しか見えませんでした。
先日、窓の下から外を覗いて見ると遠くの木々までがよく見えて、実はとても景色がいいことに気付きました。
それで、トゥさんに「もっと窓を大きくして、外の景色がよく見えるようにしたい。」と言いました。
大きな窓を付けるには、コンクリートの壁を壊して窓が入るように穴を開けなければいけませんでした。
窓を付ける業者と壁を壊わす業者が別らしく、まず最初に壁を壊わす職人が来ました。
壁に四角い大きな穴があいて、明日は窓を付ける業者が来るとのことでした。
トゥさんが「今夜は、この窓を付ける穴からドロボーが入ってくるといけないからイノはこの壁に開いた穴の下で寝なさい!」と言いました。
それで夜中にふと目を覚まし壁の穴の外を見ると、男が3人立って中を伺って居ました。
男達は下の部屋の雨よけをつたって、これからドロボーをするために壁の四角い穴から、ちょうど僕の部屋に入ろうという状況でした。
僕はビックリして、思わず「チョーイオーイ!」(何がチョーイオーイなのか自分でもよく分かりませんでしたが)と叫んで、手元にあったプラスチック製の背中カキを振り回しました。
ドロボー達は、まさか壁の穴の下に人が居ると思っていなかったのか、穴の下から突然に現れて狂ったように背中カキ器を振り回す僕を見て、ものすごく驚いた様子で逃げて行きました。
翌朝、トゥさんが昨夜来た窃盗団は7人いて(僕は3人しか見なかったのですが)全員、警察に捕まったことを教えてくれました。
窃盗団は、僕がプラスチック製の背中カキで追い払った後も、まだ僕の部屋の様子を伺っていたようで、近所の人が警察に電話してくれたそうです。
トゥさんは「警官の1人は首を怪我して救急車で運ばれて行ったのよ。警察は10発以上もピストルを撃って窃盗団を捕まえたのよ。」と言いました。
僕が「ピストルの音なんて、全然聞こえなかったよ!」と言うと、トゥさんは「窃盗団は警察が来たので逃げて行って、実際に捕まえたのはズート遠くだからよ。」と言いました。
  1. 2008/04/21(月) 22:39:35|
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ご無沙汰してます&famtanさん、御免なさい

皆さん、大変ご無沙汰してますPP井上です。
最近、やっとヒマができてきたので、久しぶりに自分が作ったこのブログを開いて見ました。
自分なりに、中々いいブログを作っていたなぁ(フフッ)と思いました。
コメントを見てビックリ!famtanさんネタが上がってるではありませんか?
早速、消しておきました。(遅いって!)
ついでにコメント&トラバックを禁止にしました。
また、ヒマが出来た時に近況報告等します。
というか、あまりに書いていない期間が長すぎて何処からが近況なのか?わからなくなってしまったのですが、、、。
僕がサイゴンに来たのが2005年7月なので、僕のベトナム生活も、もう3年近くになろうとしています。
と言っても、ほとんど引き篭もっているので何処に住んでいてもあまり変わらない気もします。
今は家を借りて3人のオネーチャン達と暮らしています。
そのオネーチャン達のなかに残念ながらテンは居ません。
トゥさんというオネーチャンと出会ったことで、今の家に住むようになったのですが、日記を書かなくなった事と少し関係があります。
そういったことも少しづつ近況報告として書いてもいい状況になって来ました。
そう言えばサイゴンに来て3年ということはプノンペンで暮らしていた2年間よりも長くなってしまいました。
南国の暮らしに慣れたこともあるのかもしれませんが、プノンペンより長く居ることが、あまりに内容が違い過ぎて信じられない気がします。
そして、トゥさんとの生活もテンと過ごした日々よりも長くなってしまいました。


  1. 2008/04/20(日) 23:31:10|
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